防災入替コミコミプラン

非常用備蓄セット3日間滞在用
保存水

防災豆知識 & Topics

防災隣組・近助の精神

【コクヨ】防災の達人シリーズ監修
防災危機管理アドバイザー 山村武彦氏
企業、行政、地域、家庭の
防災・危機管理
~防災隣組と近助の精神~
<避難の遅れ>

先の東日本大震災で甚大な被害を受けた陸前高田市では、過去それほど大きな津波が襲ってきた経験がなかったこともあり、最初の津波警報ではみんな避難を開始しなかった。
やがて大津波警報の10M以上の津波がやってくると聞いた住民たちが慌てて車で避難を開始した。
しかし、幹線道路の橋の真ん中では地震の揺れでトラックの積み荷が落下しほとんど通行止め状態であった。その為街の至る所で大渋滞が発生し、津波に襲われ車で避難を開始した人の多くが犠牲となってしまった。この地域では10人に1人の割合で犠牲者が出てしまった。
東日本大震災での犠牲者は18,649人、負傷者6,114人。通常これほど大きな災害になると犠牲者の5倍から10倍の負傷者数が出るのだが今回は負傷者数が3分の1しかいない。つまり死ぬか生きるかという特異な災害であった。関連死者数1,632人、自殺者数67人、避難者は未だに32万人もいらっしゃる。
被災地はまだ何も終わっておらず、地域によっては何も始まっていない。義捐金はまだこれからも継続して送り続ける必要がある。内閣府では16兆9000億の経済損失を与えたと発表しているが、日本経済に与えたインパクトは大変大きなものがあった。
犠牲者のご冥福と一日も早い復旧復興をお祈りし、支援をし続けていくことをみんなで一緒に誓っていきたい。

↑topへ戻る
<防災心理>

「とらわれない」想定とか、経験とか、マニュアルにとらわれない。もちろん参考にしなきゃいけないがそれだけにとらわれない。また「防災心理」というものを危機管理マニュアルやBCPに盛り込んでいかないと間違えてしまう。安全行動マニュアルを作ることもとても大事。意外とこの安全行動マニュアルができてない。BCPはあっても本当の意味での「生き残りのマニュアル」がない。また「近助の精神」近くで近くを助けると言うことをお話ししたい。
陸前高田市の海岸線には約7万本もの高田の松原が広がっていた。ここにはチリ地震で押し寄せた4Mの津波の水位表がつけられていた。東日本大震災では10M以上の津波が押し寄せ松原がすべて流されてしまった。そこに1本だけ残ったのが「奇跡の一本松」である。
この松は被災者に多くの勇気を与えました。震災で流される前にこの松原の中には標識があった。「地震、津波すぐ避難。避難場所は市民体育館」役所が指定した体育館で避難訓練なども行われていた場所だったが、実際震災時に逃げ込んだ80人が津波に流され助かったのはわずか3人だけ。この80人という人数も推定で実際のところわからない。この体育館の2Fへ逃げれば安全とされていたが実際には天井まで津波が押し寄せた。この指定された避難場所も見直す必要がある。
陸前高田では「陸前高田の一部で災害時要援護者の避難誘導を円滑にするためにいったん近くの避難誘導場所に住民を集め、人員点呼をとってからみんなで高台に避難する」という計画を立てていた。これを2段階避難という。その一時避難場所68か所のうち35か所が流されてしまった。
この”みんなで”っていうのはリアリティがない。みんなで遠くまで逃げましょう。緊急時にみんなっていうのは誰を待たなければいけないのか?近くの人が近くの人を助ける。避難場所の再点検、ハザードマップの作成、ハザードマップはあくまで目安だという認識。これまでに各市町村等で出されているハザードマップは目安ですよ。絶対ではないですよ。それまでの知見とか過去の事例に基づいたマップだから目安。これから起こることをすべて想定に入れているわけではない。こういう認識をもって危機管理マニュアルを作らないと間違えてしまう。それからみんなが集まってから避難するのでは逃げ遅れてしまう場合がある。共助よりも緊急時は自助、近助である。自分の命は自分で守ると同時に近くで声を掛け合って直ちに安全ゾーンに避難する。こういう認識が必要である。
そして問われたのは防災心理「パニックよりも怖いのはパニックを恐れる人達が引き起こす情報隠しである」情報はリアルタイムに隠さないで伝える。隠していることがばれたとき逆にパニックが起こる。専門家情報やハザードマップは参考にしてもとらわれると危険である。あるいは災害は起きるだろう、だが自分だけは大丈夫。その根拠なき安全神話が対策の恐れを招く。
今震災の後どういう認識であればよいか、次の震災の「震災前夜である」すでにその次の災害へのカウントダウンは始まっているという認識をすべきである。
今は次の災害への準備段階であり次の災害へ備えるときと認識するべきである。その心理とは、危険を察知してすぐに対応できるかというと心のバリアーのようなもをが邪魔をして意外と対応できない。それはバイアス(思い込み、偏見、先入観)に捉われてしまっている。突発的な災害が起こった時に「凍りつき症候群」体が動かなくなる。緊急避難を促す放送は命令口調でなければならない。緊急スイッチを入れる言葉でないと意味がない。
「正常性バイアス」まだ大丈夫だろう。昨日も大丈夫だったんだから明日も大丈夫だろう。大きな災害の後だからしばらくは大丈夫だろう。「経験の逆機能」石巻市の小学校では、教頭先生が大津波警報で裏山に避難すべきと主張したにもかかわらず、地元の区長さんがここは過去津波が来たことがない。だからここにいたほうが安全だとがんばった。結果としてその30分の時間をロスし避難しはじめた時には大津波がやってきた。過去津波が来たことがない。その過去とはどれだけの過去なのかわからない。知ってる限りの過去なんてたいした過去じゃない。経験は参考にする必要はあるが、一つや二つの経験に捉われていてはいけない。
「同調性バイアス」みんなが逃げないから大丈夫だ。
「エキスパートエラー」専門家情報を課題に評価すること。今まで地震の専門家がいう通り地震が来た例がない。それだけ予測な難しく専門家のいうことを過大評価してはならない。こういうバイアスにとらわれないようにするためには自問自制をする。今自分は同調性バイアスに陥っていないか?など自問自制することによって呪縛ってとける。危機管理で一番重要なことは「何かに捉われていないか」ってことを集中的に吟味することである。

↑topへ戻る
<ハザードマップの危険性>

被害想定あるいは震度分布図が発表されますが、それに一喜一憂しないで普遍性のある最大公約数的な災害を想定すべきである。南海トラフ大地震が発表されるとこれほど大きな被害をもたらす地震が発生する確率は極めて低いのだが、一度発表されてしまうと明日にでも発生するような錯覚に陥る。国がこのような発表をするとそれが基準となって対策を打たなければならなくなり、それも問題である。震度分布図などが発表されるとエリアによって震度7、震度6強、震度6弱。こういったものが発表されると震度が強いエリアは一生懸命やるのだが、外れたエリアは逆に安全宣言だと思い込んでしまう。震度分布図に捉われてしまうと間違ったメッセージを与えてしまう。
日本中いつでもどこでも震度6強以上の地震に備えることのほうが大事。日本中どこにいたって安全な場所はないと思っていたほうが間違いない。
東京都では平成25年4月1日から東京都帰宅困難者対策条例を施行する。義務として「一斉帰宅の抑制」「3日間は施設内に待機保護」「3日間以上の備蓄」「買い物客などの施設内保護や支援」「地域応急復旧の参加」こういったことを事業者に依頼している。この条例は努力義務でありペナルティはない。これは非常に重要で画期的なことである。いずれ家庭の備蓄も含めて推進条例を作るべきである。
地震の想定や被害想定だけに振り回されないようにするために独自の認識をするために、地震の回数を知っておく。
震度4の地震は日本で1年間で56回発生している。1週間に1回は震度4の地震が発生している。
震度5弱1年で6.1回5強1年に3回6弱1年に1.5回6強2年に1回震度714年から50年に1回の割合で発生してる。
いつどこで発生するかは当然わからず日本中のどこかでこの割合で発生している。
マグニチュードが1増えると地震のエネルギーは約62倍、2増えると約1000倍、阪神と東日本と比べると約1000倍近いエネルギーであった。
マグニチュードと発生頻度の割合でいうと約10倍単位である。
M6から考えるとM7は10分の1回、M8は100分の1回、M9は1000分の1回。マグニチュードが増えると発生頻度も減っていく。
そういったことを基準にしてリスク試算していくと「発生の確率と結果の重大性」こういったことで企業などの被害想定の前提条件を作るべき。
震度4では発生確率は高いものの結果の重大性やBCPにはほとんど影響を与えない。ところが震度7になると発生確率は低いけれどもいったん起こると大変な結果になる。これを組み合わせて5段階にして出す。この手法が重要でありこれで算出すると震度6強を基準にして対策することのほうが合理性がある。つまり震度6強の地震に備える。
長周期短周期の地震と内海だと6m、外海だと15m、液状化、地盤沈下が起こる。複合災害として富士山の噴火も考えられる。
震度6強でも地震の揺れ方によってすごく違う。阪神の揺れは周期1秒から2秒の揺れでこれだと建物はバタバタ倒れる。阪神の場合亡くなった人の87.8%は建物の下敷きで圧死している。東日本の場合0.3秒から0.6秒の揺れで建物の倒壊というよりも実際には津波で92.4%、建物の下敷きで亡くなった人は4.4%である。つまり同じ震度7でも揺れ方によってまるで違う。
東日本では津波の被害のインパクトが大きすぎるが、今度の地震対策には内陸部での阪神型の揺れにも対策をとっておく必要がある。例えば2004年のスマトラ沖地震では津波で約20万人の人が亡くなった。その為スマトラでは津波対策に力を注いだが、5年後の同じような大きさの地震では津波は1mほどしか発生せず大部分は内陸部の建物倒壊や土砂災害が発生した。津波対策だけではなく大揺れの対策も必要である。

↑topへ戻る <耐震性の盲点>

耐震性というのは建物は揺れる。免震は揺れにくいけど耐震は揺れやすい。揺れるけど建物は壊れにくいですよっていうのが耐震性である。
だがそれは建物に対してだけで内装の照明器具などは落下してくる。耐震性は絶対ではないですよ。照明器具が落下し天井が落ちる。特に体育館など広い空間の天井が落下しやすい。
文科省の調べでは公立小中学校3万校のうち天井や照明の耐震化ができているのはたった3割。7割はできていない。通常のオフィスビルでもそういうのが多い。ドアが変形したりそういう可能性がある。特にスプリンクラー設備。これは火災には非常に有効な消火設備であるが地震には弱い。設置されているスプリンクラーヘッドと天井とが違う角度で揺れてヘッドが破損し水が噴き出るケースが多い。実際に大宮駅、大阪市庁舎、結婚式場、東京都庁など多くの建物でスプリンクラー誤作動や破損によって水が噴き出し多大な損害を受けている。実際に被害を受けた建物でさえ、スプリンクラーの真下に重要な情報資源であるサーバーやパソコンを置いてある。そういった対策も必要である。
そしてそのためにも「状況別の実践的な安全行動マニュアル」が重要である。従来の机の下に逃げ込むのは安全なのか?それしか方法のない場合もしくは絶対に建物が倒壊する危険性がない場合には有効であるが、なんでもかんでも地震イコール机の下ってのは違いますよ。もし机の下にもぐっていて、天井や照明が落下して、ドアが変形して、閉じ込められて、火災が発生して、ガス漏れが発生したら逃げられなくなってしまう。絶対間違いではないけれどこれに決めつけたり、捉われたりしてしまってはいけませんよ。

↑topへ戻る
<安全行動マニュアル>

原則は揺れたら「安全ゾーン」に移動すること。安全ゾーンていうのは、転倒落下物の少ない閉じ込められない場所です。
2F以上だったら揺れている最中階段かけ降りるほうが危ない。部屋から出て閉じ込められない場所、階段付近に移動する。それが大事。このような「安全行動マニュアル」を各企業や組織に浸透させる必要がある。
状況別、場所別学校だったら教室にいるとき、廊下、トイレ、グランドにいるとき全部違う。あるいは登下校中。すべてのシチュエーションごとの安全行動マニュアル、絶対じゃないけど一つの原則基準ていうものを設けておく。あるいはそういうトレーニングをしておくことも大事。
例えばイトーヨーカドーでは転倒落下物の少ない広いスペースのところに「地震避難場所」を設けて標識を掲げている。学校、オフィス、マンション、自宅でも安全ゾーンを決めているところもある。なんでこんな標識が必要なのか?避難誘導係が誘導なんかできない可能性がある。自分で安全な場所を見つけて自分で行ってください。その為には情報を提供します。そういうことが大事。安全ゾーンていうのは、転倒落下物の少ない閉じ込められない場所。
89年前の関東大震災では死者行方不明は10万人以上、燃えた家は44万棟、全半壊22万棟、津波12mといわれています。来年で90周年を迎えます。地震にはP波とS波がある。P波とはプライマリウェーブ(初期微動)先に縦に近い揺れで表面をつたってくる。そのあと大きな揺れの主要動がくる。先に小さな揺れが来た後に大きな揺れがドーンとやってくる。S波の主要動がやってきたときには歩くことができなかっただろうといわれている。震源地が相模湾でしたので東京まで約13秒から14秒くらいの小さな揺れが続いていた。
この時に行動を起こす癖、この時の行動マニュアルマニュアルを作っておかなきゃいけない。実際に地震になったときに人々はきょろきょろしているだけ。家にいる人はテレビをつけて情報を得ようとする。だがこの時テレビを見てる場合じゃない。テレビが報道できるのは揺れが治まってからから。揺れてる速報は入るがそれは自分が一番よくわかっている。テレビを見る前にまず安全な行動をすることが先なんです。
P波の小さな揺れのうちに行動する大きな揺れになってからでは逃げられない。小さな揺れを感じたら、地震速報を聞いたらどうするかという安全行動マニュアルを作っておく。そういう人、スイッチを入れる準備ができてる人は凍りつき症候群にはなりにくい。心の緊急スイッチを入れる訓練。小さな揺れを感じたら「防災訓練」といってすぐに行動に移す癖をつけておく。こういうマニュアルにしておく。そうすると閉じ込めが少なくなります。
安全行動として目の前に火があったら火を消し、避難路の確保、海岸線や海に近い地域は直ちに高台に避難するこういうマニュアルを作っておく。一般の古い木造住宅にいたら、目の前に火があればその火を消し安全ゾーンに移動する。1Fは直ちにドアを開ける。危険なら脱出する。2Fにいたら慌てて1Fに降りない。2Fのほうがまだつぶれても隙間ができる。事前に避難経路の落下物対策を実施しておく。是非今日から我が家の安全ゾーンを決めてほしい。あるいは小さな揺れで防災訓練ということを徹底してほしい。企業でもそういうルールを決めてほしい。緊急地震速報を聞いたらただちに防災訓練として行動を起こす。これを決めておかないと気が小さい奴だと思われるのがいやで動かない人がいる。つまりルールを決めておくことが重要である。
鉄筋コンクリートのビルにいても間の階がペシャっと潰れてしまうこともある。この場合避難路の確保。より安全ゾーンへ移動。階段など危険がせまったらいつでも別の階に移動できる場所に行く。最悪を想定した安全行動マニュアルを作っておく。状況別に作ることを是非やってほしい。
オフィスでもマンションでも一般の住宅でも枠がスチール製の出入口ドアが多い。これが意外と変形しやすい。ドアが変形してしまうと中に閉じ込められて火災が発生したりガス漏れが発生したりすると逃げれなくなってしまう。火災は都市ガスが多くLPガスは発生しなかった。目の前に火があれば火を消す。そして玄関ドアを開ける。ドアを開ける際は手を放しても閉まらないようにサムターンを回しておく。危険を感じたらさらに安全な場所に移動する。階段のすぐそばやエレベーターホールなどがよい。エレベーターは使わないが、エレベーターホールが意外と頑丈に作られているケースが多い。そういうフロア毎に安全ゾーンを決める。
また、外へ出るといろんなものが落下してくる。外へ出たらバッグなどで首筋頭部を守り、建物から離れられそうになければ安全そうなビルの中に入る。子供たちの登下校中あるいは通勤途中になどに地震にあったら状況別のルールを一様の基準を決めておく。
道路では車のハンドルもブレーキも聞かなくなり暴走してしまう。車に乗ってるときは原則ハザードランプを点灯してほかの車に注意しながら左側に駐車する。情報を確認した後、道路に放置せずに広場や駐車場に停める。そしてキーをつけたままメモを残し車検証をもって徒歩で避難する。こういうルールを決めておく必要がある。
歩行者は車道に飛び出さない。車が暴走する可能性がある。火災が発生したら建物がいくら耐震性でも中からの火災は防ぎようがない。地震直後は原則火気厳禁ですよ。中にはガス漏れが発生する場合もある。ガス漏れ安全装置が作動しないこともある。もしガス漏れが発生したら出入口を開放しガス会社に電話する。そういったルールを決めておく必要がある。

↑topへ戻る
<近助の精神>

「遠水は近火を救えず」ということわざがある。どんなにたくさん遠くに水があっても近くの家事には意味がない。私は近くの人しか近くの人を助けることができないと考える。災害時にはみんなで助け合いましょうというが「みんな」ではリアリティがない。緊急時には誰と誰が誰を助けるのかを決めておかないとリアリティがない。具体的により実践的に決めることが重要である。
近くの人が近くの人を助ける。それが「近助の精神」である。ジョン・F・ケネディ アメリカ第35代大統領が記者会見で尊敬する日本人と聞かれたときに「上杉鷹山」と答えた。上杉鷹山とは米沢藩第9代藩主。15万石の借金だらけの財政を立て直し名君とうたわれた江戸時代の政治家である。この上杉鷹山公がやったのが、「三助の実践自助・共助・扶助、三つの助を助ける。
自助は5人組は同一家族のようにむつぎあい、10人組は親類のように助け合う。
共助は5家村組合で一つの村が被災したら他の4つの村が喜んで救済する。
扶助は藩で民の害を取り除き、民の純益を図る。
藩は借金苦にもかかわらず産業の育成、錦鯉の養殖、新田の開発を実行した。敬老医療、育児の保護(子供の間引きゼロ)を藩で基金を集めて貧しい人々を支援した。そして藩を立て直した。天明の大飢饉では米沢藩だけ餓死者がいなかった。
災害時のための備蓄も実はやっていた。上杉鷹山は各商店や個人とか種もみなどいろんなものを備蓄するように義務付けした。それは今の東京のようである。東京都が備蓄量を増やすのには多額の費用がかかり、その備蓄品を処分するのにも費用がかかる。それよりも、企業は企業、商業施設は商業施設それぞれが責任を分担して自分や家族、社員の備蓄をするべきである。役割を分担する。その代り行政しかできないことは行政がしっかりやることが大事。上杉鷹山公のあと防災は自助・共助・扶助三助の実践からここにつながってくる。
公助というのは公務であり、法律で決められたもの。 自助共助のあいだに近助。向こう三軒両隣の近助、近くで助けることが大事。
自宅でも会社でも具体的な数値目標を掲げる。たとえば大地震でも死者ゼロをめざす、逃げ遅れゼロを目指す、耐火ゼロを目指す、主要業務を4日目には再開を目指す。具体的な数値目標が初めて具体的な対策を生む。みんなで一生懸命がんばりましょうでは誰もがんばれない。より具体的に実践的にすべきだ。
逃げる防災から戦う防災も大事だな。身の安全が確保できた元気な人は、初期消火、救護に向かう。みんなで早いうちに火を消せば大火にならない。帰宅困難者も地域の助ける人になる。帰宅困難者はお客さんじゃないんです。たまたまそこにいたらその時に出来ることをやってほしい。
阪神淡路大震災で生き埋めになった約35,000人のうち近隣住民が助けたのは約77%防災関係機関が助けたのは約19%といわれている。亡くなった方の96%が地震発生後、約14分以内に死亡している。つまり早く助けなきゃ助からない。それができるのは近くにいる人だけですよ。
そういう意味で防災隣組、地域ごとに安否確認チームを作れと呼びかけている。向こう三軒両隣の中で安否確認チームを作るのであれば個人情報も何もない。学校でも子供たち同士が安否確認チームを3人ずつで作る。子供たち同士がいじめられているのを見て見ぬふりをしたら、親や先生、教育委員会がいくら頑張ったっていじめ問題はなくならない。近くにいる人が近くの人を助ける。そういう概念、学習も含めて防災隣組、安否確認チーム、近所の精神、近くで助けるっていうことが大切。
気仙沼でもこの小鯖地区というのは地域ごとに防災隣組を作っていた。この地域では地震発生26分後に津波が押し寄せますが、155世帯中53世帯が流された。しかし死者行方不明者の数は流失家屋の数から比べると非常に少なかった。それは防災隣組があったからだといわれています。横浜市青葉区ではお隣場という隣組がある。何かあれば役員が安否確認をしてすぐにみんなで助け合う。これを支えているのは定年退職した団塊の世代の人たちである。そういった人たちを戦力にしている。いつでも気楽に自由に自分のためにずっと住みたいまちづくりという取り組みをしている。孤立しというのもある。そういった意味でもこの隣組というのは大切である。
今の過疎化高齢化社会で地域の包容力、受け入れるキャパシティがだんだん狭くなっている。排除するっていうケースが高齢者、障害者、一人暮らしや単身家庭、母子家庭、病人、新婚家庭、社会格差、社会的排除によって結果として弱者の孤立化を生んでいる悪循環である。そういったものを防ぐためにも近助の精神や防災隣組が大事だな。東京では東京防災隣組と言っている。現在は36団体、来年度はもっと多く増えるだろう。
今企業が何をしたか?何をしなかったかを問われる時代。災害時CSR計画というものは今のうちに作っておく必要がある。
今までは企業はBCP(Business Continuity Plan=事業継続計画)だったが、この震災の後CCP(Community Continuity Plan=地域の持続可能計画)に切り替えようとする企業が増えてきた。
つまり自分たちのグループだけじゃなくて競業他社や行政や地域とインフラ事業者と連携したCCPを作りましょう。BCPからCCPの時代。線、点から面の連携というのが大事。競業他社の競争している相手とも連携していこうという考え方。自分たちのグループだけで連携しているだけじゃ、あれほどの大災害に対応できなくなってくる。そして、防災総合協力協定もただ仕入れ先と結べばいいというものではなくて必ず分厚いBCPよりこういう企業と連携が取れるか取れないか?分厚いマニュアルよりも需要なのは連絡が取れたか取れないか?会社同士の連絡はなかなか取れないが個人での連絡は取りやすい。個人携帯のSMSサービスなどを利用する。こういうことも含めて連絡をとれた会社は復旧も非常に早くできた。つまり関係者と連絡が取れたか取れないかが一番大事。衛星携帯電話も含めいてツールも考えていく必要がる。
緊急連絡先も連絡が取れない場合がある。通常上から下へと連絡が降りてくるのだが、これでは災害時にほとんど使えない。フィッシュネット方式(漁網)を推奨する。これは縦、横、斜めに糸が張ってある。1本の糸が切れても大きな穴が開かない。煩雑そうに見えるが、順を追っていけば実際そうでもない。こういう実践的なものに連絡方法を変えていく。
やらなければいけない項目をいったん全部洗いだして、防災マニュフェストと防災ロードマップを作って年次計画を立ててやっていく。これを毎年やっていく。やらなければいけない項目をいつまでやるか。こういった体制が会社を継続してそういう体制ができるということになっていくだろう。

↑topへ戻る
<すばらしい日本人>

イギリスの新聞に「届けられた金庫」という記事が載った。東日本大震災後、届けられた金庫5700個、23億円が持ち主に返された。震災の後日本人の礼節は世界が驚嘆した。アメリカのデイリーメディアは、イギリスが略奪で頭を抱えているときに日本人の誠実さが証明された。
アメリカのように略奪や暴動を起こさず相互に助け合うことは全世界にも少ない独特の国民性であり社会の強固さだ。また韓国人は、本当に強い人だけがこうした対応ができると。中国人は、日本人の民度に中国人が追い付くにはあと100年かかるだろう。世界中の災害現場を見てきているが、日本人ほど素晴らしい国民はいない。そう確信している。あっちこっちで災害現場へ緊急物資をトラックで運んでいるときに略奪など襲われる。あたりまえであるが、日本ではそういうことは全くない。
Twitterの書き込みには、自宅が流され自分は避難所にいるのに店が大丈夫だっていうので無料でラーメンふるまっている。日本ってこんなにあたたかい。日本に生まれたことを誇りに思う。10万人の自衛隊もがんばった。その自衛隊がこう話してくれた。首まで埋まった80代の女性を助けようとしたら、この先に若い人が待っている私は後でいいから若い人を先に助けてやってお願いしますといった。こんなこと言うのは日本人だけだと思う。
避難所でおにぎりを分け合う家族、凍るほど寒いのに毛布を譲り合う被災者。被災者同士がわけあい譲りあう。これは被災地だけではなく東京でもそうだった。
上野駅でJRが止まってたくさんの人が押しかけているのに、混乱していない。歩いて帰った人のちょっといい話もたくさんあった。夜中に歩いて帰っていると、とっくに閉店しているはずのパン屋のおばちゃんがパンを無料で配給して自分に出来ることを実践していた。
私は日本人であってよかったな。少しは悪い人や変な人もいるが大部分は信頼できる民族である。これからも元気なうちは企業も個人も近助の精神守られる人から守る人へ助けられる人から助ける人へ、立ち位置を変えないといけない。そうすれば日本はもっと素晴らしい国になっていくだろうとそう思います。

↑topへ戻る
◆防災システム研究所ホームページ
 山村武彦氏の提唱する
「防災隣組」と「近助の精神」

※山村武彦氏の著書はお近くの書店もしくはネットショップでお買い求めください。当店での取扱いはありません。

FAXフリーダイヤル 0120-031-882
メール info@daianshin.com

注文書に必要事項を記入し当店にお送りください。

防災豆知識 & Topics

リサイクル処分について

企業の方へ

自治体の方へ

回収サービスのご紹介

納入事例

セット割

発熱剤・カイロ等の回収処分

パーソナルセット

無償引取りサービス

防災入替コミコミプラン

備蓄品管理サービス

導入・入替ソリューション

法人・団体様向けサービス統合

店長のKANAです。

大安心.com店長紹介

大安心.comの店長KANAです。防災グッズの通販サイトを通じて一人でも多くの人のお役に立てればと思います。主婦の目線から良い物を安く、細やかなサービスで"大切な人へ"安心をお届けしたいと思います。何卒、よろしくお願いいたします。

大安心カレンダー
  • 今日
  • 定休日
  • 配送のみ

土曜、日曜、祝日を除く平日が営業日です。ご注文はオンラインにて、年中無休で承ります。

ページトップへ